山のいろんなこと

登山においての「自己責任」とは一体なんなのか

山岳事故が起こると”自己責任”って言葉がテレビ・ネットニュースやSNS等で飛び交いますよね。

「あんな軽装で……」
「単独登山なんかするから……」
「ま、山ではなにがあっても自己責任ですからねぇ」

みたいなね。

その度に「その通りなんだけどそうじゃないんだよな〜」と悶々としてる自分がいました。

ネットやSNS等での議論がヒートアップすればするほど悶々の程度が強くなっていき、しまいには

「そーゆーことじゃなくない!?」

と鼻息荒くして興奮する始末。

だからって、「じゃあどーゆーことなのよ?」って聞かれてもうまく言葉にできず……。

強く思っているわりに、なんとも説得力に欠ける「そーゆーことじゃなくない!?」だったワケです。

しかし!その悶々の全てが言語化されている記事に出会いました。

Twitterでフォローさせてもらっている、山岳ライターの森山憲一さんによる記事です。

「自己責任」の使い方、間違ってない?

先日私のタイムラインに流れてきて、すぐにリンク先の記事を読んでものすご〜く感銘をうけてリツイートしたつぶやきです。

記事はこれ。

登山における「自己責任」という言葉について書かれています。

その中で、

「自己責任」の裏にあるのは「無責任」だ。

と森山さんがおっしゃっていました。

まさにその通りだと思います。心の中のなにかがストン、と落ちて隙間なくハマったような感覚になりました。

そして確信しました。

みんなが自己責任、自己責任って言うなかで私が悶々としていた理由。それは、

「うるせーな無責任野郎ども!」

と思っていたからだということを……!(言葉悪くてごめんなさい)

「自己責任」は当事者が使っていい言葉

私は基本ソロで登山をします。

ソロ登山はグループ登山に比べてリスクが高まります。なので自己責任を強く意識して登るのは絶対条件だと思ってます。

山で起こりうる全てのことは”自己責任だ”と肝に銘じて登山をすることで、よりリスクマネジメントを徹底でき安全登山につながると思うからです。

それは自分のためでもあるし、まわりの登山者や家で待っている家族のためでもあります。誰にも迷惑かけずにしっかり下山する、と。

だから自分自身で”自己責任”をしっかり意識するべきなんです。

もう一度言います。自分自身で”自己責任”をしっかり意識するべきなんです。

言いかえれば、

「赤の他人が”自己責任”って言葉気軽に使うんじゃないよ!」

ってことです。

だって、赤の他人が山で怪我したり遭難したりってのを赤の他人が「自己責任ですからねぇ」と言うのはおかしいでしょ。

私以外私じゃないの、って言うでしょ。笑

自己責任は自分自身に課すものであって、他人から課せられるものじゃないと思うんです。当事者意識の延長に自己責任があるんじゃないかと。

なので、他人が”自己責任”をなげてきた時点で、そこにあるのは”無責任”なんですよ。

てかね〜、他人が使う自己責任はねぇ、どうしても突き放してるようにしか思えないんだよね。自分関係ないし、みたいな。

しかし。こうなると赤の他人が黙っちゃいないですよね。

「自分の甘さで事故・遭難を起こした登山者に厳しい言葉をかけるのは当たり前だろう!」

ってね。

そこについても、森山さんが記事内で提言してます。

ふざけんなバカヤローと言いながら全力で助ける

今回の記事で一番心に刺さった箇所がこれ。

ただし、そのときにとる態度は「だから言ったろ、自己責任だ」ではない。「ふざけんなバカヤロウ」と言いながら助けることであるはずなのだ。

遭難した登山者が軽装だったり、無謀な登山がゆえの事故だったりすることがあります。

救助されているにも関わらず態度がデカかったり横暴だったりする人もいます。

そんなときは「自己責任」って言葉で突き放したくなりますよね。こんな奴のためにたくさんの人が救助活動していたのか……と憤りすら感じますよね。

でもね。

それでも助けるのが山の世界なんです。

山では、みんながみんなを心配したり気遣ったりする独特の空気感があります。相互扶助の精神が登山の根底にあるからです。

こう聞くと「ものすごくクリーンな世界なんだな山の世界って」って思いますよね。

登山するには心が綺麗じゃなきゃいけないのか……なんて思っちゃいますよね。

私もそう思ったことがあるけれど、大丈夫です。心が綺麗じゃなくても。

私は綺麗事が大嫌いです。純愛モノの映画より”闇金ウシジマくん”や”全裸監督”が大好きです。それでも長年登山やってこれてます。

山の上でムカつく登山者に出会ったこともたくさんあります。その度に心で舌打ちしてます。

でもね。

そんな登山者になにか起こったときに「自己責任だから」と突き放すのではなくて、

「ふざけんなお前!助けてやるから待っとけコノヤロー!」

と助けるのが登山の本質であり、山での在り方なんです。

記事内の森山さんの文章にハッとさせられたと同時に、「私、これでいいんだ!」と安心することができました。

ムカついていいんです。山をナメてる登山者や態度が悪い登山者に。

山をナメてるような登山者がアクシデントにあっていたら「ほらみたことか」と思っていいんです。

助け合いは綺麗事じゃないんです。助け合いは、人間同士のリアルな関わり合いなんです。

だからこそ、何かあったら全力で助けるべきなんです。本気で心配してあげるべきなんです。

どんな登山者でも、気遣ってあげるべきなんです。

なので”自己責任”という言葉で冷たく突き放すのではなく、森山さんが言うように、

ただし、そのときにとる態度は「だから言ったろ、自己責任だ」ではない。「ふざけんなバカヤロウ」と言いながら助けることであるはずなのだ。

これに尽きると思います。

私以外私じゃないの

今回、森山さんの記事を読んで頭の中がとてもスッキリしました。本当に素晴らしい記事なのでたくさんの人に読んで欲しい……!

私が悶々としていたのは”自己責任”という言葉が一人歩きしているように感じていたからだと思います。

自己責任という言葉を当事者ではなく周りの人間が使うことに悶々としていたこと

ふざけんなバカヤロー、と思いながら手を差し伸べるのは決して間違いじゃないこと

これらを私なりに言いかえると……

「私以外私じゃないの」

です。

登山における”自己責任”とは当事者が背負い、当事者が発言するもの。これに尽きます。

山岳事故を未然に防ぐためにも、登山者は自分自身に責任を持って山にいくべきですね!

……しばらく「ゲスの極み乙女。」のアルバム、鬼リピートしようかな。笑

ではまた!

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